2010年08月09日

25-2 帰還(那賀川1)【四国の川第1弾】

水位:観測所なし(※) 気温:25℃(木頭) 天気:曇り 区間:美那川出合〜ごろごうち橋(4.4km) 所要時間:約40分 メンバー:後輩1号&川太郎&川次郎(回送)
※0.98m(名古ノ瀬;坂州木頭川),1.32m(神野;海部川)
 坂州木頭川は同水系ですが左支川、海部川は水源が近しいですが別水系


 美那川と那賀川の流量はほぼ同等でした。つまりこの出合より先は40〜50トンくらいはあるのではないかと推測されます。ただ、美那川も那賀川も、この出合以降は川幅が数倍に広がり、流速は強いながらも変化に乏しく、リラックスモードで下ることができます。
 ところどころに豊富な水量を湛えた流れ込みが入り、水量はさらに増していきます。ここが源流部とはにわかには信じがたいほどのビッグウォーターです。

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 ところでこのあたり(白瀬峡?)、実はダムの底に沈む運命にありました。
 細川内(ほそごうち)ダム計画は、1971年に表面化されましたが、97年に一時休止、2000年に正式に中止とされました。中止となった背景には、地元、旧木頭村の根強い反対運動がありました。強大な国家権力と人口2千にも満たない小さな村との対決構造は「大きなゾウと闘う小さなアリ」と例えられていたそうです。

 ダムができれば、道路が整備されて一時的に仕事が増えても結局は過疎が進むだけで、村の基幹産業である農林業が衰退してしまう。小見野々ダムの経験から、ダムの堆砂による水害リスクが高まる。広大な森林と那賀川の清流は貴重な国民の財産であり、次世代に残す義務がある。豊かな自然と共生し、「ダムに頼らない村おこし」こそが最善の途である。

 というのが、反対運動の主旨になるかと思います。なお、反対運動の経緯については、93年〜01年まで木頭村長であった藤田恵氏の著作に詳しいです。
 私が今日こうして川を下り、「ガロ」が棲むという豊かな自然を満喫できるのは、傷だらけになって守り抜いてくれた人たちがいたおかげでもあります。

 川相は単調なままで、ひたすら流されていくだけでした。件の図書によれば、ダム計画中止で那賀川源流の自然は守られたかというと、残念ながらそういうわけでもないようです。

 戦後推進された拡大造林に伴い、生来の広葉樹はカネになる針葉樹に植え替えられました(そういや、美那川も秘境と呼ぶに相応しい光景でしたが、山は植林された杉や檜ばかりでした)。しかし、70年代以降の木材輸入自由化に伴い価格が暴落。林業の衰退に伴い、杉林は放置され荒廃し、大雨が降るたびに土砂崩れを起こします。河川に流入した大量の土砂は、これまで変化に富んでいた淵や瀬を埋めて魚の棲みにくい(カヌーで下ってもイマイチな)単調な流れに変えてしまい、さらには川床の上昇やダムへの堆砂といった問題を惹起します。また、広葉樹に比して針葉樹は保水力に乏しく、以前に比べると水量も随分減ってしまったということでした。
 胸を張れるだけの素晴らしい川を子供たちに残していくためには、山林を再生させることも重要なようです。

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ニックネーム ラナ父 at 00:12| Comment(4) | 四国>那賀川 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする